適応障害を乗り越える:ピオーネの心理ブログ

適応障害と自律神経失調症で休職中の私が日々考えたことを書くブログです!(逆流性食道炎にもなりましたが完治しました。)休職中は自分が喜ぶことをするのが良いみたいです。なので、行って楽しかった場所、食べておいしかったもの、大好きな洋楽の紹介、読んでためになった本などについても書いていきます!もちろん、病気のこと、職場のこと、悩んでいること、家族とのこと、病院やカウンセリングのことも書いていきます!

彼との結婚に対しても過剰適応したのかも…

こんにちは!ピオーネです!
現在、適応障害自律神経失調症で休職中です…


今日は自分の考えを整理するために書きます!ところどころ、それは違うんじゃないの?と思われるところがあるかもしれませんが、読み物として読んでいただけたら嬉しいです!
何か感想を言っていただくのも嬉しいです!
初めて、適応障害になった理由を具体的に書くためとても不安ですが、温かく見守っていただけたらと思います。


基本情報

  • 昨年の3月に彼と結婚する予定だった。
  • 彼は転勤族。しかも何年で異動かも決まっていない。
  • 昨年、私のいる方に戻れると思っていたから結婚しようと思った。私は仕事を続け、彼がまた異動になったら別居婚になる予定だった。
  • 私の仕事も転勤はあるが、住んでいる地域の中だけなので、仕事を続けるためには転居できない。
  • しかし、彼はまた山梨に決まり、結婚の話が白紙に戻った。そして、結婚のこと、仕事のこと、祖父の病気のこと(昨年6月に亡くなった)が昨年の1月ごろから、うまくいかなくなり、精神が乱れだす。
  • 私が適応障害になり、9月から仕事を休む。今年の3月で仕事を辞めて、彼と結婚し、彼の異動についていくことになった。

この基本情報をもとにお読みください!
長文です。


昨日の夜、彼に
「もし、私が適応障害にならなくて、仕事をやめなかったとしたら、結婚どうしてた?」
と聞いた。
そうしたら彼は、
別居婚していたと思う。結婚した方が、既成事実があるからピオーネの方に異動できると思うし!」
と言っていた。


あー、去年全く結論が出なかったのは、仕方ないなとこの時思った。
別居婚って、普通に考えておかしい。
別居婚って、ある程度の期間がたったら一緒に住める確約があって、それまでの措置としてするものだと思う。
一生、一緒に住むことができないかもしれない相手と、結婚っていう大きな契約を結ぶだろうか…?
それってかなりクレイジーなことじゃない?と思った。

でも、私はとにかく彼と結婚したかった。
だから、一度は別居婚でもいいと思い、両親を説得したりもした。(説得できなかったけど)
でも、去年やっぱり異動がうまくいかない彼の職場の体制を目の当たりにして、これは本当にずっと別居婚かも…と思い、彼と話し合いと言う名の喧嘩をたくさんした。

私は、彼と一緒に住みたかったし、こんなに異動がおかしい彼の仕事を憎んではいたけど、彼が夢だったこの仕事を辞めてほしいとは思わなかった。
彼も口では転職すると言っていたけど、したくないのは分かっていた。
それに彼は私に仕事を辞めてくれと頭を下げることもなかった。それはきっと色々な理由からだと思うけど、1つに自分が悪者になりたくないというのもあったと思う。
全く結婚に向けて、現実的ならちが明かなかった。


そして、私は思った。
「あ、私が仕事を辞めればすべてうまくいくんだ」と。
それまで、仕事を辞めると言う発想がなかった。
両親も共働きだったし、女も働いた方がいいという考えを持って育った。
でも、辞めるという選択肢が出たとたん、仕事に対してどうモチベーションを持っていったらいいか分からなくなった。
そんな中、仕事でうまくいかないことが増えた。
普段だったら、
「これも成長するために必要な試練だ!」
と思って、ありがたく立ち向かった。
でも、モチベーションがなくなった私には、ただ辛い日々でしかなかった。
そうして、どんどん体調が悪くなり、適応障害になった。
こう書くと、結婚のせいで適応障害になったのでは?と思われるかもしれないけど、それは今、私がその視点で文章を書いているからだ。
もっと複雑に色々なことが混ざり合い適応障害になったし、私は今まで適応障害は仕事へのモチベーションが上がらないけれど、頑張らなきゃ、しっかりやらなきゃと無理したことから、なったと認識していた。


そう思っていた。
でも、昨日、彼と話していて、

「もしかしたら、私、彼との結婚に対しても過剰適応していたのかも…」

と思った。


彼は仕事を変える気はない。私も変えてほしくない。
でも私は一緒に住みたい。
でも、どうしたら結婚できるのか答えがでない。
そんな辛い環境に適応するために出した私の答えが
「私が仕事を辞める」
ということじゃなかったんだろうか…?


そして、私はとにかく考えた。
どうしたら、仕事を辞めやすいか。
どうしたら、誰も傷つけずうまく結婚できるか。
ここからは推論でしかないけれど、そこで私は適応障害になることを選んだのかもしれない。
頑張ってるのにどうしても体がついてこない。もう無理しなくていい。とみんなに言われて、休み、辞める道を選んだんじゃないか?


結果、すべてがうまく収まった。
私が辞めることで結婚の話も進んだし、彼も私が辞めたくて辞めるんだから、責任を感じることもない。
私だけが悪者になり、でも、みんなに悪く思われずに、頑張ってたししょうがないよねと辞めやすい環境が整った。


カウンセラーさんは、病気になったおかげですべて収まったんじゃない?って言っていた。
でも、もしかしたら、すべて収めるために適応障害になったのかも?と昨日ふと思った。


もちろん適応障害は本当に辛かった。
嘘でやっていたわけではない。
でも、私はこれがベストな答えだと分かっていたのかもしれない。
そして、そうなるように無意識に動いたのかもしれない。


小さい頃から、私が何とかして、なんとかなるならそれでいいと思うことが多かった。
そうやって過剰に適応して生きてきた。
今回のこともそうなんじゃないかな?
そうだとしたら、すごく怖い。
私の本質がまた少し見えた気がした。


もっと言いたいことがあるような、もっとうまくまとめられるような気がするけど、今の私にはこの文章が限界です。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました!ピオーネでした。